企業の合理化と人間の管理

【企業の合理化と人間の管理】
会社をより質の高いものにするためには、企業の合理化と人間の管理が必要とされる。
近代的生産において、広義の機械化による合理化が行われてきた。

機械化は大きくわけて個別的機械化と組織的機械化の2通りがある。

前者には今まで道具を使用してきた作業を機械に変える「物理的生産力の機械化」と機械の運転に奉仕する「労働の機械化」が存在する。

後者には工作・運搬・動力の各機械の体系を組織化する「物的組織化」と経営の科学的管理、経営階層性、経営規律をもった「人的組織化」が存在する。


この2通りの機械化を行ってきた結果、労働の節約のために解雇の可能性が生じ、大衆化による個性の喪失、拘束化による自由の喪失により人間性の疎外が必然的に表面化した。

そのような生産方式に対し労働者は、機械破壊運動や科学的管理排撃運動を行い、人事管理を成立させた。また人間の理解する人間の管理、人力の最高能率的利用を推進した。

人力の機械化の精練化には、①精神技術的機械化→社会技術的機械化(②協働技術的→③人間関係論的→④行動科学的)という段階がある。

①は労働科学的で、適材適所主義である。人事部門においては採用配置、教育訓練、保健安全などを行い、労働者の個性を生かす。

②は経営者と労働者の間でのコミュニケーションを重視し、秩序のもとで協働するものである。例えば上から下への意思疎通である委員会制度や、下から上への意思疎通を図る提案制度がある。

③は企業の合理化によって生じる状況や方針などの変更に対する、労働者の抵抗が生まれる状況において人間行動を非合理的なもの、合理的なものと分ける新しい見方が生じる。このように保守的な見地から人的慣性を考察するもので、革命主義ではなく漸進主義であるものといえる。

④は職務を自己実現欲求という見地から見るもので、「仕事嫌い」、「強制命令措置」といったX理論と呼ばれるものを「仕事こそが人間の本性である」、「目標を持つ」「責任を持つ」「創造工夫を行う」というY理論に変換するマグレガーの考えかたによる。


またQW(quality of worthy life )という職務再設計あるいは職務充実という考え方に依存する。

人間性疎外と企業の民主化

人間性疎外と企業の民主化

会社をより質の高いものにするためには、企業の合理化と人間の管理が必要とされる。

近代的生産において、広義の機械化による合理化が行われてきた。

その結果、労働の節約のために解雇の可能性が生じ、大衆化による個性の喪失、拘束化による自由の喪失により人間性の疎外が必然的に表面化した。

人間性の疎外には主に①所有物、②作業、③職場、④作業者の疎外が存在する。

①は手足の延長であった道具を、個人的所有が不可能な機械という独自のメカニズムによるものに変えることによる所有物による疎外。

②は部分作業を製品商標とし、完全作業を銘柄とする機械による作業による疎外。

③は生活空間(内在的空間)であった職場を、手段空間(外在的目的)に変えることによる職場による疎外。

④は人的結合関係に関するもので、家族などを含む全人格とゲマインシャフト(人間に本来備わる本質意志によって結合した、実在的・有機体的統一体としての社会)を結合し、会社とゲゼルシャフト(人間に本来備わる本質意志によって結合した、実在的・有機体的統一体としての社会)を結合することによる、作業する人間の疎外である。現実的な人間関係において、利益体制より共同体制が大きい社会を、共同体制より利益体制を大きくする社会に変えるものである。

そのような人間性の疎外への対応は、人事管理つまり人力の機械化の精練化を行うことが重要である。それは適材適所主義、職務拡大、職務充実による一定の個性の回復と、コミュニケーション独裁制を民主制にすることで、一定の自由を回復させることである。

また、狭義での労働管理企業の民主化も疎外への重要な対応である。人力の所有者が、福利や労使関係の管理を重要視することが必要であると言える。

そこに残る課題として、自由の疎外からなる所有物疎外であり、克服策として集団主義的な自己意識の形成、つまり共同体化が挙げられる。

またそこに残る諸問題として、共通の誇りをもつための基盤整備が必要であることが挙げられる。また、労働者の生活の安定を重視し雇用の保障、労働条件の適正化、福利厚生の充実などを重視し、失業の可能性を下げる必要がある。

さらに拘束労働と自由労働の安定化から間接的に、労働者に経営に参加してもらう人間性の要求が必要である。

そのように労働者が経営に参加することで、企業中心主義である野党的立場を企業の存在を発展させることに繋げる必要がある。

以上のようなことから最終的に企業の合理化(機械化)と企業の民主化(共同体化)を相対的に発展させる必要があると言える。

頭のよい人について

question:1110092231
頭のよい人について

どのような要素があるのだろうか。頭がいい人って何だろうという議論は、心理学上でも長く話し合われてきたことらしい。



サーストン博士という人はは頭のよさとはいくつかの力が合わさったものだと考えた。(この考え方を「知能の因子説(いんしせつ)」という)。このような考え方をしている人は何人かいて、ギルフォード博士とい人は、なんと120個の力が合わさったものが頭のよさだと唱えた。

サーストン博士は、1.言葉をつかう力、2.スラスラと話せる力、3.空間で理解する力、4.計算能力、5.記憶する力、6.推理する力、7.知覚能力(ちかくのうりょく)、の7つの力が合わさったものが頭のよさだと考えた。心理学ではこの考え方がよく使われるらしい。

このように考えると、学校の勉強ができることだけが頭のよさではないことが分かる。学校の勉強では主に、4の計算能力、5の記憶する力などが活躍する。でも、頭のよさはそれだけではない。学校の勉強ができることも頭のよさの1つだが、それだけではないといことである。

と、こんなことは当たり前だ。学校の勉強が出来る人の必要十分条件が頭のいい人だと考えているような人間は、相当の時代遅れだ。戦前の人間かよ。

それではここからはサーストンちゃんの説に対して自分の考えを書いてみる。

1.言葉を使う力

説明能力もあるだろうが、「おもしろい話をする力」も当てはまると思う。おもしろい(ここでは人を笑わせるということ)話をできる人は、人の考えていることが分かり、何がウケるかが分かる能力を持っているのだろう。ダウンタウンの松ちゃんがいい例だ。

2.スラスラと話せる力

何かを話し合っているとき屁理屈でもよいから、スラスラと話をできるということだろう。機転が利き、アドリブも利くという人だ。これも松ちゃんや、ロンブーの淳とかがよい例だろう。

3.空間で理解する力

“空間”で理解するということは、どういうことだろうか。紙に書かれた問題だけでなく、口頭上で聞かれたことにパッと答えられる能力だろう。問題処理能力などとリンクすると思う。これについてはよく分からないので勉強しようと思う。よく分からない僕は、この能力がないのだろうか…

4.計算能力

算数だけではない。先を見つめて未来に起こることを予想し、今何をすべきか計算し行動できる能力も当てはまると思う。6の推理能力ともリンクする。

5.記憶する力

まあ記憶力だ。ただ、記憶するにも効率のよしあしが関係すると思う。当然勉強に関してだけではなく、人の顔と名前を覚えるだとか、いろいろある。

6.推理する力

物事の事象を推理する力。問題などにまず取り掛かるのではなく、先々のことを考えてから行動するということだろう。

7.知覚能力

感覚器官への刺激を通じてもたらされた情報を元に、外界の対象の性質・形態・関係および身体内部の状態を把握する能力。だと思う。ってか辞書の意味をまんま書きました。確かにこの能力に長けている人はいる。音楽家や芸術家に多くみられると思う。

それでは+αで自分の考えを追加してみる 

まずは、give&takeができること。これは前回のブログに書いた。次に効率がいいこと。自分の能力を理解していること。人の気持ちや考えていることが分かること。…etc.そのほかにもいろいろあるだろう。

「頭がいい人は、自分の能力を理解しているから、不可能なことは初めからやらない。だから行動力に欠けると思われることもあるかもしれない」とどこかに書いてあった。また、「頭がいい人は不親切な人間が多い、なぜなら自分の能力を人に教えるのがもったいないし、時間の無駄だと考えるからである」ともどこかに書いてあった。

両方とも効率的だ。非常に興味深い。やはり頭のいい人は以上にあげていたようなことの出来る人間なのだろう。

 

こんな人間を目指していきたい。

give&take

今回はgive&takeについて書こうと思う。
世の中はほとんどgive&takeで成り立っている。
一番簡単なのは金であろう。金をgiveするから生産者からのtakeがある。あたりまえのことだ。
しかし人間関係の中においてのgive&takeはできる人とできない人がいる。
「俺はこんなに頑張っているのになんであいつらは俺に何もしてくれないんだ。」ということを経験した人も多いと思う。そのようなことがあると当然人間関係もうまくいかない。
「だったらもうあいつらには何もしてやらない」
と思ってしまったりするからだ。そう思ってしまってもしかたない。しかしそれで「あいつとは縁を断つ」と言うのはよくないと思う。人の上には立てないタイプだろう。
人とうまくやっていく、しかもみなの上に立ち、信頼される人間になるにはgive&takeよりもはるかに“give&give”の方がよいと思う。それはちょうど母親が赤ん坊に何のtakeを期待することなく、ひたすらgiveするというのと同じである。
何の見返りもなくていいから、ただただgiveをするという意識を持つ。そうすれば、次第に人はついてくるようになるだろうし、人間関係も悪くはならない。つまり効率的なのだ。
そして当然人からgiveされたらtakeをする。すると信頼関係が生まれる。

自分から他人にgiveをするときはtakeは期待しない。他人からgiveされたらちゃんとtakeをする。こういうことを出来る人間は人の上に立つことができ、尊敬される人間になれるのではないかと思う。

バイク王のCMを調査してみます。6人の小さい中山エミリさんが登場し、全国どこでもバイク
を引き取りに行くという内容のものです。

バイクは見た感じですが、125cc以上250cc以下の中型バイクであるとします。

最後のシーンで中山さん達(全員中山さんですが)6人は、肩でタイヤを担いでいます。
目測で、彼女達の身長は、バイクとの比率でおよそ70cmほどでしょうか。

中山さんの実際の身長を155cm、体重40kgと仮定すると、彼女の体格指数BMI(身長、体
重により肥満度を表す数値)は、公式に当てはめると40kg÷(1.55m×1.55m)
≒16.64。さすがにスタイルは素晴らしいです。



この数値をそのまま小人に当てはめ、体重を計算すると、16.64×(0.7m×0.7m)
≒8.1kgとなります。

しかし、よく小人達を見てください。頭の大きさがハンパないです。

普通人間の頭の重さは、およそ5kg。しかし彼女達の頭の大きさは通常の胴体との比
率とは大きく異なり、見た限り全体重の1/2を頭が占めていると考えてよいでしょ
う。

そのことを考慮し、実際の中山さんの頭があのように巨大化したと考えると、実際の
彼女の体重は、(40-5)×2で約70kgになると計算できます。

そんな中山さんは見たくありません。

それを再びBMIを使用して計算しなおすと、体格指数は29.1になり、小人たちの体重は
約14kgになります。

これは17インチのブラウン管テレビと同じくらいの重さです。

バイクの重さが中型バイクの平均重量程の150kgだとすると一人当たりにかかる重さは、
約25kg。これをもとの姿にかかる重量にあてはめると、40kgの中山さんにおよそ71kg
の負担がかかることになります。これは電子ピアノと同じくらいの重量です。

…かわいそうに、もはや拷問です。しかも全国に出張するそうです。CMを見た限り、歩
いて出張しているのでしょうか。

歩幅は普通に歩くのであれば身長×0.45ほどであるという公式を用いると彼女達の歩
幅は約31.5cmくらいです。それを日本人の平均の歩く速度と歩幅の関係に当てはめる
と、15cm/sで歩くことになるそうです。

この速度でCMのように北海道から沖縄まで(ここでは札幌駅から那覇空港駅までとし
ますが)行くとすると、約距離が2464.6kmであるので、2464600000cm÷15と計算して
いくと、一秒も休まずに歩き続けるならば5年と2ヶ月ほどかかることになります。た
だし海は考慮していません。

さすがに体力的に不可能でしょう。考慮して平均1日8時間歩いたとすれば(それも
中々厳しいものですが)、15年と6ヶ月ほどかかることになります。参勤交代をした
過去の武将達もビックリです。

中山さんは現在27歳。人生の半分以上の時間を割き、必死の思いでバイクを引き取りに
行ったのです。しかし、依頼した家族の態度を見てください。おばあちゃんは深々とお
辞儀をして敬意を表します。それでは足りないくらいです。お父さんお母さん息子は手
を振って感謝の気持ちを表しています。人の気も知らずに「ばいばーい」とは随分軽い
対応です。さておきおじいちゃん。微動だにしません。なんというふてぶてしさで
しょうか。あなたの知らないところで小人達はどれほどの努力をしたのか分かってい
るのでしょうか。そんなおじいちゃんを横目に見ても、笑顔で一人あたり約71kgの負
担を背負いまた長い旅路に出る彼女達。過去にこれ以上の仕打ちをうけた人間はいま
したか?心よりご尽力拝察致します。

このように涙無くしてみれないCMなのです。

楽しい受験対策

現在大学1年の男です。
初めて、ブログというものを書きます。
受験シーズン真っ只中の今。受験生、あるいはそろそろ受験体勢に入ろうとしている高2の皆さんはどんな勉強方法をしてますかね。単に中高大それぞれの入試だけでなく、資格や免許、いろいろな試験のために、頑張って勉強している人も多いでしょう。
僕も去年のちょうど今頃、全く必死ではなかったのですが、まあ世間の流れによって大学を受験していました。
そんな僕のやっていた楽しい受験対策方法を教えましょう。入試の日の一日前にやってもいいです。楽しく、簡単です。やってみる価値はあります。カンニングとは違うので不正ではないです。暇な人は見てみてください。
ただしこの勉強法はマークシート方式のみで使え、また数学のマークシート方式では使えません。
必要なもの:過去問 電卓
長年マークシート方式を扱っている大学がいいです。早大とか他多数の私大。
大抵の学校が毎年同じ形式で出題しています。
英語ならⅠは長文、Ⅱは会話文、Ⅲは文法とか。しかもⅠの問4は必ず正誤問題だとか。
そこで、今まで10年分くらいの答えをすべて表にして書き出します。
そして、選択肢a,b,c,d,の解答がどのようになっているかまとめ、Ⅰの問1はaは何%、bは何%…と電卓で調べます。
すると4個の選択肢から選ぶものなら半分くらいの問題が、それぞれ25%の確率なんです。当たり前やんか、と思う人もいるでしょう。もし1000年分調べて25%なら当たり前になりますが、たかが10数何年分のみで25%という確率か出るんすよ。ということは、問題制作者の意図が含まれているとは言えないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、毎年マーク方式の試験を制作する方々は、解答番号が偏らないように、解答の傾向から答えが導かれないようにしているのではないか。ということです。もし、そうなら、こっちのもんだよこれ!!
3年前までわりとbが多かったけど、一昨年はaで去年もaだな。ってことが分かれば、そろそろcかdが来るんと違うか!ってこと。特におもしろいのは、TF問題(正誤問題)。なんと9年間で、8個Tのものがあったりします。しかも7年連続T!んじゃあ今年もTの確率が高いんじゃないのこれ!まあ人によっちゃ、いや、もう7年もTが続いたんだから、さすがに今年はFなんと違う?という人もいるでしょう。
んならFにすればいいやんか。
とにかく、そうゆう情報があるだけで、TかFかまじめに解いても全く分からないときに、今までの流れからして、T!とかいう風なことができるんですよ。国語や社会も同じ。ひょっとしたら、TOEICとか国家試験にも使えるかも。
んなあほなことやるかよって人もいるでしょうけど、俺はこれで去年の早稲田の問題のTF、問題読まずに8割とれました。まあ読みが外れたものありますがね。最後の最後、4つから1つ選ぶので、迷ったなら鉛筆回すよりは自信持てるでしょう。
勉強の合間、休憩時間、もう諦めた人はやってみると面白いっすよー。ちなみにセンターでも使えるしね。見たい人がいたら、暇があったら、去年僕が受験した学校の選択肢データ(去年自分で自作したもの)があるから、載せてみます。早稲田、上智、立教、中央などが多いです。そんで、akapeace式今年の模範解答を、入試日より早く作ってみます。解答河合塾とかで出たら答え合わせしてみよっとー。
なお、読んだ受験生に言います。 お前が落ちたからって俺の責じゃねーから。
また、読んだ未来の受験生に言います。 いや、こんなんよりカンニングの練習しろや。
追伸 読んだ大学関係者の人に言います。 ははは全部冗談っすよ。